小十郎は白沢の岸を溯って行った。水はまっ青に淵になっ
たり硝子板をしいたように凍ったりつららが何本もじゅずの
ようになってかかったりそして両岸からは赤と黄いろのまゆ
みの実が花が咲いたようにのぞいたりした。小十郎は自分と
犬との影法師がちらちら光り樺の幹の影といっしょに雪にか
っきり藍いろの影になってうごくのを見ながら溯って行った。

   宮沢賢治「なめとこ山の熊」より
安比高原の「コマユミ」
作品ID1939

小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろはなす。小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。間もなく台所の方からおぜんできたと知らせる。小十郎は半分辞退するけれども結局台所のとこへ引っぱられてってまた叮寧な挨拶あいさつをしている。
 間もなく塩引のさけの刺身やいかの切り込みなどと酒が一本黒い小さな膳にのって来る。
 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口ちょこについだりしている。いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いとたれでも思う。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知っている。けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本ではきつねけんというものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。




引用:青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/


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