鹿はそれからみんな、みじかく笛のように鳴いてはねあがり、はげしくはげしくまわりました。 北から冷たい風が来て、ひゅうと鳴り、はんの木はほんとうに砕けた鉄の鏡のようにかがやき、かちんかちんと葉と葉がすれあって音をたてたようにさえおもわれ、すすきの穂までが鹿にまじって一しょにぐるぐるめぐっているように見えました。 嘉十はもうまったくじぶんと鹿とのちがいを忘れて、 「ホウ、やれ、やれい。」と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。 鹿はおどろいて一度に竿のように立ちあがり、それからはやてに吹かれた木の葉のように、からだを斜めにして逃げ出しました。銀のすすきの波をわけ、かがやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかに遁げて行き、そのとおったあとのすすきは静かな湖の水脈のようにいつまでもぎらぎら光って居りました。 そこで嘉十はちょっとにが笑いをしながら、泥のついて穴のあいた手拭をひろってじぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです。 それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。
引用:青空文庫
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